【発症から約2年】30代女性 高橋さん(仮名)

・発症から約2年
・教育業
・趣味:料理

30代女性

【発症】輸血をしても改善されない重度の貧血からLPLが発覚した。

私がリンパ形質細胞リンパ腫(以降、LPL)と診断されたきっかけは、過多月経とそれに続く重度の貧血でした。はじめに過多月経で出血量が多くなり、階段の上り下りでひどく息切れや動悸がするようになってしまったため、かかりつけの婦人科クリニックを受診しました。そこで鉄欠乏性貧血の注射薬や内服薬による治療を行いましたが、一向に改善せず、顔面が蒼白になるほど悪化していき、総合病院の婦人科を紹介されました。

総合病院を受診した時点のヘモグロビン値は4g/dL程度で、医師から「歩ける状態ではない。事故がなくてよかった」と言われました。すぐに入院し、当日と翌日に2単位ずつ輸血されましたが、次の日の朝の採血時点でも血球数が上がっていなかったため、同じ総合病院の血液内科を受診することになりました。血液内科では主治医から「検査結果の数値から見ておそらく血液の病気だと思うが、原因が分からないため骨髄検査をする」と説明されました。まさか自分がこのような病気になるとは全く想像していなかったので、「なんで私が?」とショックを受け、パニックで泣いてしまいました。

自分がこのような病気になるとは全く想像しておらず驚いた

【診断】病型がすぐには判明せず、3回目の骨髄検査でLPLと診断された。

当初は再生不良性貧血か悪性リンパ腫が疑われ、1回目の骨髄検査によって悪性リンパ腫であることが明らかになりましたが、病型までは分かりませんでした。退院後は、外来で輸血や検査を週1回のペースで続け、1ヵ月半ほど経った頃にようやくLPLと診断されました。

診断が出ず気分が落ち込んでいたので、緩和ケア認定看護師による心のケアを受けることになった。

診断が出るまでは不安で、「悪性リンパ腫」という病名からとても悪い病気だと感じていました。意を決して骨髄検査を受けたにもかかわらず、病型が分からずに心が折れそうになったこともあります。このまま診断が出なかったら? 診断が出ても治るの? 子どもたちが大人になるまで自分は生きられるの?と度々ふさぎ込んでしまい、今振り返ると診断が出るまでのこの時期が一番つらかったと思います。

当時、私の様子を見た主治医が緩和ケア認定看護師を紹介してくださり、行き場のない感情をようやく人に話すことができました。私と同じく小学生のお子さんがいる方で、自分自身に対する不安以外にも、子どもに関する心配事なども相談できたのでとても助かりました。この方にはLPLの告知にも同席してもらいました。

緩和ケア認定看護師による心のケアを受ける

血液の病気の告知の際は、夫と小学生の子どもも同席した。

血液の病気であることが判明した時には、子どもに対して病気をどう説明したらよいか悩みましたが、主治医から「お子さんも同席させたらどうか」と提案を受け、夫と子ども、私の両親に同席してもらい告知を受けました。主治医は子どもに対して「お母さんはしんどい病気で、身体の中に悪いものがあるからそれと闘うよ」と伝えてくださりました。

さらにLPLの診断が確定した後は、主治医が私たち大人に対して分かりやすくLPLが希少がんであることや、今後の治療と予後の見通しについて説明してくださりました。また、緩和ケアの看護師は家族にも「一緒に頑張りましょうね、何かあったら言ってください」と寄り添ってくださり、患者の私だけでなく家族まで支えてくれました。

【治療】主治医や医療スタッフを信頼していたので、提案された化学療法をすぐに始めることにした。

治療に関しては、主治医から「複数の抗がん剤を組み合わせた点滴による化学療法を6サイクル実施する」と説明されました。セカンドオピニオンの提案も受けましたが、主治医が勧める治療を選択しました。背景として、自宅から通院しやすい病院であったことがありますが、それ以上に、診断までの期間を通して主治医やスタッフの方々との間に信頼関係が築かれていたことのほうが大きかったです。診察では自分の心情や疑問をすべて伝えていましたが、主治医はいつも真摯に回答してくれました。また、電話で体調不良を相談すると予約外でも受け入れてもらえ、時には他の診療科と連携の上サポートしてもらえたので、安心して治療を受けられました。唯一、化学療法による副作用の脱毛が心配だったので、脱毛が起こる可能性があるならあらかじめウィッグを用意しておきたいと相談していました。

投与時の血管痛、味覚異常などの副作用はあったが、点滴による化学療法を終えることができた。

治療開始時は1サイクル目だけ入院する予定でしたが、血球数が上昇せず輸血が必要になってしまい、2サイクル目も入院することになりました。3サイクル目以降は外来で治療しました。点滴の際は血管痛を感じましたが、寒い時期は手を温めながら投与するなどの工夫をしてもらったこと、投与時間が比較的短かったこともあって耐えられました。味覚異常の副作用があらわれ、においや味に違和感があったことがつらかったですが、化学療法室や緩和ケアの看護師が励まし、ケアしてくれたので前向きに取り組めました。途中で投与が延期されて落ち込むことはありましたが、PET検査で病状の安定を確認し6ヵ月間の化学療法を終えることができました。治療を終えることは嬉しい一方で、化学療法室に通わなくなることに寂しさを感じるくらいスタッフの方々に支えていただきました。

PET(positron emission tomography:陽電子放出断層撮影)検査:核医学検査の一種で、放射性薬剤を体内に投与し、その分析を特殊なカメラで捉え画像化する検査。ブドウ糖代謝などの機能から異常を確認でき、全身を一度に調べることが可能。

【現在】治療を終えて仕事に復帰し、月1回の通院で経過観察を行っている。

現在は月1回通院し、免疫抑制剤と感染症予防薬を服用しながら、血液検査を中心とした経過観察を続けています。再発への不安はありますが、「もし再発しても飲み薬による治療も選択できる」と主治医から聞いています。長らく休職していましたが、現在は仕事に復帰しました。

悪性リンパ腫と告げられた時、主治医に「病気を受け入れて、前向きに病気と向き合える日が絶対くる」と言われ、当時は信じられませんでしたが、たくさんの葛藤や治療を経て、その言葉の通りだと思えるようになりました。今では主治医と冗談を言えるくらい、私自身も落ち着いた状態になっています。LPLになったことで生き方が変わり、生と死について考え、同じ1日を過ごすのであれば、笑っていたいと思うようになりました。

私は主治医とのコミュニケーションには十分満足していましたが、希少がんであるLPLは書籍やパンフレットでの情報が少なかったので、リンパ腫のWebサイトで情報を収集しました。また、同じ病気の人に話を聞いてみたいと考えてSNSを始めました。リンパ腫の病気にもさまざまあり、私と全く同じ病気の方には未だに出会えていないのですが、他のリンパ腫の患者さんの経験を聞いたり、自分の気持ちを打ち明けたりしています。診断が出るまで病院をいくつも回った方もいると知り、「私だけじゃない」と心強く感じたことを覚えています。

SNSやWebサイトで情報を収集

高橋さんからWM/LPLと向き合うすべての方への3つのメッセージ

  • 1. 今どんなに絶望的な状況でも、明けない夜はない。今は一歩ずつでも、進むたびに道は開けていく。
  • 2. 病気と向き合う中で心が少しずつ前を向けるようになる。今は無理に笑う必要はないけれど、いつか心から笑える日がくると信じてほしい。
  • 3. 主治医や看護師に気持ちを伝えるたびに、信頼が深まっていく。どんな小さな疑問や不安でも、あなたの心の声を伝えてほしい。

(2025年7月作成)