治療

社会的役割の喪失
~皆さまへ~

がん患者さんが抱える喪失

がんはよく「喪失の病気」といわれます。ここでいう喪失の一つは命そのものを失うかもしれないというものです。二つ目は病気自体や治療に伴う消化機能や排泄機能などの機能喪失、あるいは脱毛や身体の一部の欠損などボディ・イメージ(自己の身体に関する知覚やイメージ)の喪失があります。さらに社会的な役割を一時的だとしても失うことがあります。がんという病気の怖さは、さまざまな喪失体験が重なり合うことから生じるのだと思います。

ある患者さんは「がんになった人にしかわからないですよ」と前置きをしながら、「治療が始まってからは職場での役割を思うようにこなせず、将来に描いていた夢をあきらめざるを得ませんでした。情けなくて、悔しくて……。励まされても“お前は健康だからいいよな”と恨みが募り友人とも距離をとるようになりました。もう、元の自分には戻れないんだと思いました」と話してくれました。

新しい“いつもの生活”を見つけましょう

普段あまり意識することはありませんが、人間は社会的な存在です。子ども、父親、母親という役割、学校や職場、地域コミュニティの一員として、友達や恋人としてなど、さまざまな社会的役割を果たしながら人間関係の縁を結び、過去から未来へと続く「私」という一人の人間が形作られてきました。

しかし、がんの診断、治療というプロセスでは、それまでの役割と人間関係を手放さざるを得ない状況が生じてしまうこともあります。社会的役割の喪失はとても大きいもので「私」の世界が足元から崩れるような衝撃を感じ、その痛みで心を閉ざしてしまうことも少なくありません。

それでも治療中は「患者」という役割と「治そう」という目標があなたを支えると思います。そもそも治療中は身体の辛さのコントロールが最優先されるので、社会的役割の喪失まで考える余裕はないかもしれません。むしろ初期の治療が終わりほっと一安心したあとで、もやもやした喪失感や悲しみが頭をもたげてくるのではないでしょうか。

こうした喪失感や悲しみを乗り越えて、新しい社会的役割などを見つけるにはどうしたらよいのか──。これはとても難しい質問です。一つだけいえるのは、失われたものや見えない将来にばかり焦点を合わせてしまうと、ますます心が辛くなってしまうということです。

欧米の患者会ではよく「Finding New Normal Life(新しい“いつもの生活”を見つけよう)」といういい方をします。まずは今、1日1日の生活を積み重ねていくことに焦点を合わせてみませんか。

「会社にお願いし、早めに帰宅できる部署に異動した」「体力回復のために妻とウォーキングを始めた」「患者会に参加した」などなど。時間はかかるかもしれませんが、まずできることを1日1日積み重ねていく中で「新しい社会的な役割=新しい私」と「新しい人間関係」が見えてくるはずです。

新しい”いつもの生活”

もし、新しい自分を見つけるまでの葛藤を一人で乗り越えるのが難しい場合は、治療中はもちろん、治療を終えてから始まるフォローアップの期間中も緩和ケアチームの医療スタッフや精神腫瘍医(サイコオンコロジスト)、患者会の仲間などにご自身の気持ちや状況を話すようにしてください。家族や友人には言えないことでも、事情を知っている第三者には意外に話せるものです。混乱した感情を言葉にして整理しながら、これから始まる「New Normal Life」を探していきましょう。

監修:
国立がん研究センター東病院 精神腫瘍科
科長 小川 朝生 先生

(2023年4月作成)

社会的役割の喪失