患者さんと医療者が
ともに決める医療、
SDM(Shared Decision Making)
京都大学大学院 医学研究科
社会健康医学系専攻 健康情報学分野
教授 中山 健夫 先生
納得のいく治療選択にご活用いただける4つの「SDMシート」を作成いたしました。
異なる2つの意思決定プロセス、ICとSDM
日本では長らく医療者、とくに主治医が治療の決定をする文化が根付いていました。それが1990年ごろから「医師だけが治療を決めるものではない」という考え方が提唱されてきました。その際に広まった考え方が「インフォームドコンセント(IC)」です。
ICは一言でいうと「納得診療」または「説明と同意」です。もう少し具体的に表現するならば、治療法などについて「患者さんが医師から十分な説明を受けたうえで正しく理解して、医師の説明に納得できる場合に同意をする」ということです。ICは、医師の専門知識や経験に基づく「(一般的に)良い治療法」が明確であり、その治療法が患者さんにとってベストな選択であると、医師が示せる場合に用いられます。
がん治療はどうでしょうか。30年ほど前は、それぞれの専門医が、それぞれの経験と考えで良いと思う治療法を行うことが多かったのですが、近年では人間を対象とした研究が進歩して、いろいろながんで、現時点で最善と言える治療法が確立してきました。現在では、各学会がそれらの成果を診療ガイドラインとしてまとめて、臨床現場で活用されています。しかし、医学研究の成果で医療が以前に比べて良い方向に変わってきたことは確かなのですが、現在でも解決できていない課題がいろいろあることも事実なのです。例えば、早期の前⽴腺がんが見つかった時、どの治療が最善か、という問題にはまだ答えが出ていないのです。ですので、医師は、ベストの方法を患者さんに説明して同意してもらうというICが難しくなります。こういった場合は、考えられるいろいろな方法を挙げて、それぞれの長所と短所を見比べて、患者さんと決めていくことが大切になります。前立腺の早期がんの場合は、⼿術、放射線療法、ホルモン療法、そしてすぐには治療を行わず定期的に経過観察をするという方法が考えられていて、そこから医療者の考えや経験に加えて、患者さん自身が自分にとってはどれがより良いのだろう、と考えて(悩んで)治療を決めていくことになります。
治療選択肢が増えることで、患者さんが主体的に治療を選択することが求められるようになりました。食事でもファッションでも日常生活で選択肢が多いことは良いことなのですが、医療では実はあまり嬉しくないことで、何をしたら良いか(最善の方法が)わからず、いろいろな方法を試さざるを得なくなって、見かけ上、選択肢が増えている、つらい(悩む)状況とも言えます。こういう状況で、医療者は可能な方法を選択肢としてあげることはできますが、診療ガイドラインで推奨されている「(一般的には)答え」となるような治療を示すことができません(良い医者ほど、医学研究がまだ「答え」にたどり着いていないことを知っています)。そのような難しい状況の中で、患者さん自身も、自分の考え⽅や価値観、楽しみにしていること、⼈⽣の中で⼤切にしていることなどを考え直すことを求められます。
こうした時に、患者さんと医療者が相談・協力して一緒に意思決定をしていくプロセスが「シェアード・ディシジョンメイキング(Shared Decision Making:SDM)」です。日本語では「共同意思決定」ともいわれ、困難な意思決定と合意形成を同時に行うという特徴があります。
インフォームドコンセント IC |
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・医療者が専門知識と経験で、良いとされる答えを知っている
・「医療者が示す選択肢」への着地が期待される
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シェアード・ディシジョンメイキング SDM |
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・患者さんも医療者も、どこに着地するか分からない
・医学的にもどの治療が良いかが確立していない(エビデンスが不確か)
・両者のコミュニケーションを通して、目指す目標と、そこに近づく方法が共有されていく
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「正解はわからない」「しかし一緒に考えたい」と言う医療者を信頼し、二人三脚で取り組むSDM
医学は進歩し、すべての病気に、どの治療が良いか答えがあり、それを行えばどの患者さんも同じように良くなると思われている方も少なくないかもしれません。すでにお話したように、「この治療法が最善です」と診療ガイドラインで推奨される治療も増えたことは確かです(それでも、診療ガイドラインの内容は一般論なので、個々の患者さん、皆さん自身にとって最善なのかは主治医の慎重な判断が必要です)。
しかしながら、「すべて」の課題に正解が示せているかと言うと、そうではありません。がん領域では、胃がんや大腸がん、乳がんなど患者さんが多いがんでは、まず初めに行う一次治療で最善の方法は何か、研究の成果が診療ガイドラインにまとめられてきました。しかし、一次治療で効果が十分でなかった場合、次の⼆次治療、さらにそれも不十分でその次の三次治療と状況が進むにつれ、研究による成果(エビデンス)が確⽴していない治療法も選択肢とせざるを得なくなってきます。
医療者が「正解がわかっていない」と言うと患者さんは不安を覚え、頼りないと感じるかもしれません。しかし、⽇々勉強し、知識がある医療者こそ、エビデンスの信頼性とその限界を認識し、「ここからは最先端の医学でもわかっていない」ことを患者さんに伝え、医療者が正解を知っているICから、SDMに切り替えて、治療⽅針を患者さんと相談しながら決定しようとするでしょう。
SDMで大切なことは、医療者との信頼関係です。ICで方針を決められる病気・治療なのか、SDMを選択しなければいけない病気・治療なのかを患者さんも理解して、医療者とともに意思決定をしていくことが好ましいといえます。
情報・目標・責任を共有し、医療者とともに選択を
SDMに基づいて治療⽅針を決める時、その第⼀歩は、患者さんと医療者が「互いに何が重要と考えているか」を理解するためのコミュニケーションが大事になります。このコミュニケーションを通じて医療者と患者さんが共有する項⽬は、大きく「情報」「⽬標」「責任」の3つです。
まず、医療者は患者さんに治療のすべての選択肢に関する「情報」を伝えます。この時にそれぞれの治療の「益と害」、それに加えて、できれば「コスト」を加えた3点について、できるだけわかりやすい形で共有されること、医療者の立場では伝えることが大切です(これからの医療者に求められるとても大切な能力に違いありません)。そして、患者さんは⽣活の中で楽しいことは何か、⾃分が⼤事にしていることは何か、病気の中でも⼼が落ち着くことはどんなことか、仕事や家族に対しての思いや未来の⾃分の⽣活に対する希望など、個⼈の価値観に関する情報を医療者に伝え、共有します。
次は何を「⽬標(ゴール)」とするかを決めます。この段階で患者さんと医療者の考えに相違があることも少なくありません。また、患者さんとご家族で持っているゴールが違うこともあるでしょう。それぞれが共有した情報を基に対話を深め、互いに意⾒をすり合わせ、何を目指して治療を選ぶか(がんの治療成績は本当に良くなりましたが、それでも完治を目指せない場合があることも確かです)、その現実を見すえた目標(ゴール)を設定、共有して、それに向けた最善の選択は何か、協力して考えていくことになります。
目標のすり合わせは、初めから完全である必要はありません。患者さん自身、病気そのものや、治療法に正解が無い場合は、その状況を受け容れるのに時間がかかるのが自然です。そして医療者側も、治療開始のタイミングも考えつつ、そのような患者さんの気持ちを理解して、短時間での決断を迫ったり、押し付けにならないような配慮が必要になります。
患者さんとご家族、患者さんと医療者で⽬標を共有したら、最後に共有されるものは「責任」です。責任を共有するということは、その方法に決めたことに後悔をしない、後悔をしないくらい納得できるまで悩むということです。ただ一人で悩むのではなく、医療者(主治医だけでなく、それぞれ専門性のある多職種の医療チーム)が一緒に悩んで、考えてくれるでしょう。繰り返すようですが、SDMは「どうして良いかわからない時は、相談して、協力して、一緒に悩んで、決めよう」という、新しい医療の姿を示すものなのです。
患者さんのタイプに合わせた最終的な意思決定を
SDMでは、意思決定に関する患者さんの価値観や考え方がとても大切になります。
意思決定における患者さんのタイプは、概ね以下の3つに分かれ、それぞれ同じくらいの割合で存在しています。
- ●自分で最終決定をしたい/医師の意見を考慮した上で、自分で最終決定をしたい
- ●どの治療が自分にとって最善かを、意思と責任を分かち合って決定したい
- ●すべて医師に決めてほしい/自分の意見を考慮したうえで医師に最終決定をしてほしい
医師から説明を聞いて⾃分で決めなければならない、と気負わずに、ご⾃⾝のタイプを認識して医療者に率直に伝えていただいて構いません。医療者もそれに合わせた情報提供の量やタイミングの調整を意識して、より円滑なコミュニケーションにつながります。
成人がん患者が治療方針決定において望む役割(中央値)
能動(Active)a) | 共有(Shared)b) | 受動(Passive)c) | |
---|---|---|---|
全体(13,237人) | 25% | 46%* | 27% |
血液がん(299人) | 25% | 30% | 46% |
進行がん(869人) | 14% | 45% | 35% |
わからないことは遠慮なく聞く、伝えやすい医療者に一言から始めよう
がんと診断されたら、⾃分はこれからどうなるのか、家族に何と⾔ったらいいのか、不安な気持ちでいっぱいになり、頭が真っ⽩になってしまうのは当然のことです。その状況で医師から病気や治療のことを説明されてもなかなか頭に⼊らないかもしれません。
医師に質問したら煙たがられるのではないかと心配される方もいらっしゃると思いますが、納得のいく治療選択のためには遠慮なく聞きましょう。「説明を理解できなかった」もしくは「この部分は頭に残っている」といった事実を伝えるだけでも⼗分です。医師に直接⾔えない時は、看護師や薬剤師、がん相談⽀援センターのスタッフなど他の医療者に伝えてみてください。また、⾃宅に戻ってから改めて医師の説明を思い出し、疑問に思ったことをメモして次回の診察の際に持参するのもひとつの⽅法です。
患者さんと医師とツールのトライアングルで円滑なコミュニケーションを図る
医師と向き合うと緊張してなかなか質問できない患者さんも少なくないと思います。この場合、医師との間に診療ガイドラインや病気や治療に関する本や資料を置いた「トライアングルのコミュニケーション」をすることで、円滑なコミュニケーションが期待できます。
医師の⾔っていることがわかりにくかったり、ご⾃⾝が調べたことと違っていたりした場合にも、「ここにこう書いてありますが、⾃分の場合はどうですか?」と聞くことができるので、患者さんとしても医師への質問のハードルを下げることができます。ただ、インターネットには、患者さんの不安をあおるような極端な情報も少なくありませんし、そういった情報を「こちらが正しいのでは」という感じで示されると、医師もあまり良い気持ちがしない可能性があります。お勧めとしては患者さん向けのガイドラインがあれば、それが良いですし、製薬企業などが制作した信頼できるリーフレットなどが良いでしょう。
ご家族がサポートされる時に
患者さんに近しいご家族の⽅は、患者さんを⼀番⽀援したいという思いから治療に対して、どうしても前のめりになりがちです。がんのような病気は患者さん本⼈だけでなく、周りの家族も⼼⾝の調⼦を崩すことが少なくないので、ご家族の方々もぜひ気をつけられてください
また、情報に巻き込まれすぎないことも重要です。がんの治療は、現時点で⼗分な研究、専⾨家の経験と検討で、有効性と安全性が確認されている「標準治療」が存在しており、診療ガイドラインで推奨されています。しかしながら、ご家族ががんと診断され混乱していると、藁にもすがる思いで、⼗分に有効性と安全性が確⽴されていない治療やサプリメントなどを選択してしまう場合もあります。治療に関するさまざまな判断を⾏う際には、信頼できる情報源かを確認し、主治医をはじめとする医療チームの方々、特に相談⽀援センターがあれば多くの患者さんの悩みごとに対応されていますので、ぜひご相談されてください。
時には、自分たちは慌て過ぎていないか、焦り過ぎていないか、⼀呼吸おいて見直してみることもご家族にとって大切です。
患者さん・ご家族向け「SDMシート」をご活用ください
患者さんとご家族が納得のいく治療を選択できるよう、それぞれの状況に対応・活用可能なSDMシートを作成いたしました。
お気持ちや状況・情報の整理、円滑なコミュニケーションの実現に、ぜひご活用ください。
(2024年3月作成)