働き盛り世代の患者さんに聞く
~高須将大さん(肝臓がん)の場合~

Interview

働き盛り世代の患者さんに聞く

大好きな格闘技をしている姿で
勇気を与えたい

高須 将大さん
(格闘家・29歳)

Shota Takasu

高須将大さん

格闘家として23歳でプロデビューを果たした高須将大選手。しかし、初勝利をあげた直後、肝臓にがんが見つかりました。その後の再発にも決して諦めることなく、再びリングに立つ日を夢見て、治療を続けた高須選手。再々発も乗り越え、現在も大きな夢に向かって前進しています。「自分の頑張る姿が、ほかのがん患者さんの励みになれば」と積極的に情報発信を続ける高須選手に、がんとの闘いについて伺いました。

プロフィール

高須 将大 さん Shota Takasu (格闘家・インタビュー時29歳)
【疾患】肝臓がん
【発症時の年齢】24歳
【主な治療】
・肝臓がん…手術・化学療法(抗がん剤)
・肺転移…ラジオ波焼灼術

ペイシェントジャーニー

ペイシェントジャーニー

野球少年から格闘家へ

「格闘家」というと頑強なイメージがありますが、小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか。

高須さん:スポーツ少年で、小学校から高校までずっと野球をやっていました。大きなけがや病気をしたこともなく、自他ともに認める丈夫で健康な体でした。

野球少年だった高須選手が、どうして格闘技を始めようと思われたのですか。

高須さん:高校卒業を機に、野球には一区切りをつけ、地元の重機会社に就職して溶接作業や力仕事をしていました。20歳で何か熱中できる趣味を持ちたいと思い、近くにあった格闘技の道場に入門しました。それまで格闘技の経験もなく、最初は趣味のつもりでしたが、続けるうちにすごく楽しくなって、「もっと極めたい」という気持ちが強くなりました。
総合格闘技団体(MMA:Mixed Martial Arts)が主催するアマチュアの大会や、寝技を主体としたブラジリアン柔術の大会に出て経験を積み、23歳でMMAからオファーがきてプロデビューしました。

いろいろな格闘技がありますが、MMAの魅力について教えていただけますか。

高須さん:MMAは、レスリングや柔道、キックボクシング、ブラジリアン柔術など、さまざまな格闘技の技術をミックスさせた競技です。例えば、ボクシングは拳だけで闘いますが、MMAの場合、パンチのうまい相手に、あえて拳で勝負せず、寝技をかけることもできます。闘い方がたくさんあって工夫できるので、とても楽しいですね。

気づいたときには腫瘍は10㎝以上に

仕事もしながら、プロの格闘家として第一歩を踏み出した矢先、がんが見つかったのですね。

高須さん:プロになって3戦目を目前としていた、24歳になる1ヵ月前のことです。練習中にお腹を蹴られたのですが、その痛みが何日も引かず、重いものを持てないなど、仕事にも支障をきたす状態になっていました。そこで、会社の診療所でエコー検査を受けたところ、「肝臓に大きな影がある」とのことで、翌日、大きな病院で詳しい検査を受けました。結果、10cm以上の腫瘍が見つかり、「危険な状態」だと言われました。そのときは、はっきり「がん」とは言われませんでしたが、「危険な状態」という言葉にショックを受けましたね。

自覚症状はなかったのですか。

高須さん:試合で蹴られた痛みが数日経っても抜けなかったのは、おかしいと思いましたが、ほかに不調は感じていませんでした。今思えば、いつもより疲れやすかったのかもしれませんが、重機の操縦や溶接といった力仕事でしたし、朝早くから夜まで働いて、それから格闘技の練習をするというハードな生活だったので、疲れるのは仕方ないと思っていました。

どの時点で、がんと分かったのですか。

高須さん:すぐに開腹手術で肝臓の腫瘍を摘出し、病理検査で調べた結果、悪性の腫瘍で「肝臓がん」と言われました。何となく覚悟していたのですが、改めて「がん」と言われたときは、もう一段上のショックというか、かなりつらかったです。
両親に伝えたところ、やはり信じられないといった感じで、とても心配しているのが分かりました。

精神的に打ちひしがれそうに…

職場や、格闘技関係の方にはどのように伝えましたか。

高須さん:職場の上司や同僚、格闘技で付き合いのある人には、事実を事実として伝え、みんなに心配をかけたくないという思いから「でも、大丈夫です」と言いました。周囲の人にとって、僕は元気な印象しかなかったので、皆一様にびっくりしていました。

友人たちはいかがでしたか。ショックも大きかったのではないでしょうか。

高須さん:がんと打ち明けた途端、これまでと違った態度をとられたら嫌だなと思っていたのですが、みんな普段通りに接してくれました。「もっと気遣って」と思うほど、普通でしたね(笑)。

高須 将大 さん

不安や悩みを相談できる人はいましたか。

高須さん:医療関係に勤めている両親からアドバイスはありましたが、もともと僕は人に相談するタイプではないので、治療方針などは自分で決断していきました。

「がん」について、どんなイメージを持っていらっしゃいましたか。

高須さん:「命の危険がある重い病気」だというイメージはあったのですが、当時、がんについての知識はほとんどなかったので、インターネットで肝臓がんについて検索しました。「予後」とか「5年生存率」とか、そんな言葉ばかりが並んでいて、精神的に打ちひしがれそうになり、それ以上、怖くて調べることができませんでした。僕は長く生きられるのだろうか…、生きていたい…。それだけで頭がいっぱいでした。

ネガティブな内容が多く、気持ちが滅入ってしまったのですね。参考にされた情報や役に立ったものもありましたか。

高須さん:僕と同じように若くして肝臓がんになった方で、当時保険のCMにも出られていた山下弘子さんという存在を知り、ブログやSNSをフォローするようになりました。山下さんの前向きな生き方や言葉には、どれだけ励まされたか分かりません。

山下弘子さんについて(2023年1月5日閲覧)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/yamashita-hiroko_jp_5c5d658de4b0974f75b22cc1

再発、余命3ヵ月からの挑戦

開腹手術後の経過について教えてください。

高須さん:手術から3ヵ月後に、肝臓に再発が見つかり、肺にも転移していることが分かりました。このとき僕は、余命3ヵ月の状態だったそうです。
両親のすすめもあり、セカンドオピニオンで、何人かの医師にお話を聞きに行ったのですが、どの病院でも「とても厳しい状態です」と言われ、つらくて心が折れそうになりました。この時期が一番つらかったように思います。でも、家族の支えや周りの応援のおかげで、「また頑張ろう」と思えました。
セカンドオピニオンの結果、開腹手術を受けた病院から転院し、化学療法(抗がん剤)を受けることになりました。主治医の「大変だけど、一緒に頑張っていきましょう」という言葉が希望になって、本当にうれしかったのを覚えています。

どのような治療をされたのですか。

高須さん:肝臓に再発した腫瘍はかなり大きかったため、まずはがんに栄養を送っている肝動脈を詰まらせる肝動脈塞栓術(TAE)を受けました。そして、カテーテルでがんにつながる肝動脈に直接抗がん薬を流し込み、できるだけがんを効率的に叩く肝動注化学療法(TAI)を行ったのですが、腫瘍が大きかった分、抗がん剤の量も多かったのか、副作用の高熱に苦しめられました。

入院はどのくらいの期間だったのですか。

高須さん:2週間入院(TAI)して2週間退院するのを、5ヵ月間繰り返しました。それまで毎日格闘技をしていたので、入院中ずっとベッドの上にいるのは苦痛で、「早く運動したい」とそんなことばかり考えていました。

副作用との闘い

ほかに治療で大変だったことはありますか。

高須さん:入院と入院の間にも抗がん剤を服用していたのですが、その薬が合わず、顔から足先まで、体中に赤い発疹が出てしまい、40度近い熱も出ました。
主治医の先生からは、「強い副作用が出たら休薬してください」と言われていました。でも、そのときはまだ、肺に転移したがんの治療は受けていなかったので、「肺のがんが成長したらどうしよう」という不安から、抗がん剤を飲み続けてしまいました。

治療を続けられないことのほうが不安だったのですね。その後、治療はどうされたのでしょうか。

高須さん:しばらく休薬し、別の薬に替えてもらいました。その薬でも手足症候群の副作用はありましたが、飲み続けることができました。化学療法を終えて、体調が落ち着いたら、肝臓と肺の手術をするということになりました。

手足症候群は、手や足に出現する紅斑、腫脹、疼痛、色素沈着などを伴う皮膚症状の総称。

夢にまで見た復帰戦での勝利

TAIや抗がん剤による治療の効果もあり、2回目となる肝臓がん切除の手術ができたのですね。

高須さん:実はその前に、MMAの復帰戦に出ました。

闘病中にもかかわらず、試合に出られたのですね。

高須さん:化学療法が始まってからずっと先生の指示を守って、運動をしていませんでしたが、先生から「もう運動してもいいよ」と言われたので…(笑)。でも、まさか格闘技の試合をしているとは思わなかったようで、ネットニュースで知って驚いていましたが、応援もしてくれました。

もう一度リングに上がれるようになるまでは長かったですか。

高須さん:すごく長かったです。2017年6月にがんが見つかり、翌年2018年8月の復帰戦まで、1年と少しかかりました。復帰戦の4ヵ月ほど前に練習を再開したのですが、すぐに息切れするし、筋肉も落ちていて、かなりしんどかったです。でも、2~3ヵ月後には体力が戻ってきました。

治療中も何かトレーニングをされていたのですか。

高須さん:化学療法が始まる前に、とにかくたくさん食べて、筋肉トレーニングをしました。化学療法が終わった後に、少しでも筋肉が残っているようにと考えたからで、体力の戻りが早かったのは、このおかげだと思っています。

高須 将大 さん

お腹に大きな傷が残っている状態で、不安はありませんでしたか。

高須さん:手術痕や外見に対する不安はなかったです。「傷があったほうが、リング上では逆に目立つかも」と考えていました。とにかく「早くリングに上がりたい」という気持ちでした。

復帰戦は、一生忘れられないものになったのではないでしょうか。

高須さん:正直、自分はもう長くは生きられないのかなと思っていました。なのに、試合に出られただけでなく、勝てるなんて-。本当にうれしくて、リングの上で泣いてしまいました。

闘病中でも好きなことを諦めない

闘病中にもかかわらず、試合に出ようと思った理由、そのモチベーションは何だったのでしょうか。

高須さん:がんになってすごく落ち込み、落ち込み過ぎて、格闘技どころではなくなって、他の好きなこともしなくなりました。でも、これは自分だけでなく、多くのがん患者さんが経験するらしいということを知りました。そうなってもらいたくない-。
そこで、がんを公表して、リングの上で、大好きな格闘技をしている姿をみんなに見てもらえれば、勇気づけられるかもしれない。僕が山下弘子さんから勇気をもらったように、今度は僕が同じ病気の人の励みになりたい-。そんな思いで、リングに上がる決意をしました。

そんな高須選手の闘う姿に励まされた人は多いと思います。

高須さん:がんをオープンにしようと決めてから、SNSでどんどん情報を発信しています。それを見て、多くの方が応援してくれたり、がん経験者の方がお客さんとして試合を見に来てくれたりするのは本当にうれしいです。

復帰戦後、手術を受けられたのですか。

高須さん:復帰戦の翌月に肺、その2ヵ月後に肝臓の手術を受けました。そして、また抗がん剤を服用し、肝臓の手術から半年で試合に復帰しました。

再々発を乗り越えて

順調な回復だったのですね。

高須さん:手術から半年後の試合では2試合行って、どちらも勝利したのですが、喜びもつかの間、肝臓と肺にがんが見つかったのです。ショックでしたが、一度経験した治療ですし、最初に比べたら、覚悟はできていました。早く治療を終わらせて、リングに戻りたい一心で治療を続けました。現在は経過観察中です。

治療中、仕事はどうされていたのですか。

高須さん:最初の開腹手術のときは、会社を2~3ヵ月休みました。それから、抗がん剤の治療で入院しているときに休み、退院しているときは仕事をしていました。再々発による治療のときも休みをいただきました。幸い、会社の福利厚生がしっかりしていましたし、がん保険にも加入していたので、病気になっても費用面でも困ることはありませんでした。

治療と仕事を両立していくうえで、大変だったことはありますか。

高須さん:抗がん剤の副作用で、手足症候群の症状が出ていたので、歩くと痛くて-。仕事で歩くことも多かったので、安全靴に中敷きを3枚入れたりして、なんとか対処していました。

再々発後も、すぐにリングに上がられたのですか。

高須さん:格闘技のトレーニングはすぐに始めました。2019年11月に肝臓と肺の治療を終えて、12月にはブラジリアン柔術の大会に出ました。MMAの試合は、新型コロナウイルス感染症の流行があり、中止になってしまったので、本格的な復帰戦は再発からほぼ1年後の2020年8月になりました。

高須 将大 さん

病気になる前の状態が100だとしたら、現在はどのくらいまで回復されましたか。

高須さん:闘病中は40くらいまで落ちましたが、いまは120、130くらいですね。病気になる前は、仕事をしながら格闘技もしていたので、練習時間が限られていたのですが、闘病中に仕事を休んでいる間は一日中練習できることもあり、練習量自体が増えたからかもしれません。

本当に好きなことを全力で

現在も仕事は続けられているのですか。

高須さん:昨年2021年8月に退職しました。病気が理由ではなく、夢だったパーソナルジムを開業するためです。がんになる前からずっとトレーナーになりたいと思っていて、今年7月にオープンしました。がんになってから、できる限り自分の好きなことをするようにしていて、ここでも「本当に好きなことを仕事にしよう」と、思い切ってチャレンジすることにしました。

夢が叶って、充実された毎日なのではないでしょうか。

高須さん:会社員のときと違って、収入面や福利厚生の面を考えれば、不安もありますが、やりたいことを仕事にできたという充実感は大きいです。生徒も徐々に増えてきて20~30人います。現在トレーナーは僕1人ですが、今後はトレーナーも増やして、もっと大きなジムにしていきたいですね。

夢が広がりますね。

高須さん:格闘家としては、MMAでチャンピオンになるという夢があるので、それに向けても頑張っています。そんな僕の姿を見て、自分も頑張ろうと思ってくれる人がいたらうれしいですし、僕自身も応援してもらうことで大きな力をもらっています。

夢を持ち続けたことが、がんを乗り越える大きな力になったのではないでしょうか。

高須さん:闘病中も常に目標を持って過ごしてきました。闘病を終えたら格闘技に復帰して、絶対試合に勝つ。がんになる前は、前座試合に出ていましたが、メインの試合に出る。それだけはずっと意識してきて、目標を達成することができました。
実は闘病中、一人でいるとやっぱり病気のことばかり考えてしまい、「本当に治るのかな」「死にたくない」と、涙したことは何度もありました。そんな中でも、目標を持つということが、大きな力になりました。

最後に、同じような思いをされている患者さんにメッセージをお願いできますか。

高須さん:がんになっても人生は続いていきます。自分の生きがいや好きなことを大事にして、目標を持って生活していただきたいと思います。がんになっても人生は終わりではないから-。自分の好きなことを全力でやってほしいですね。

高須選手、ありがとうございました。

(原稿作成 2023年1月)